FC2ブログ

H

もう終わり



今日おふくろが「もう終わりだ。」と言った。
僕は「仕方がねぇよな、誰でも終わりはある、俺もあるからよ、腹括れ。」と答えた。

おかしな事言ってるのかな。
スポンサーサイト



心が弱い



僕は心が弱い。
真剣に考えて決めた事が出来ない。
情け無い。
でも責めるのはやめた。
強くなろうと努力はしたつもりだ。
でもこれからは弱いなりにどう生きてくか
そんな事を考えている。
逃げずに戦い負けたのなら
僕は自分を許す。
それでいいのだ!
なんちって。

人間って

人間って年をとったら
変わるものなのだと思ってた。
子供の頃に大人を見ると
今の自分とは違って見えたし
きっと自分も変わって行くんだと思ってた。
でも今年50になるんですが
あまり変わって感じないんだよな。
様々な感情が変わらずある。
僕は自分の感情の中で怒りと嫉妬が嫌いだ。
ただ、その渦巻く感情も
生きてる証だと思えるところが
年をとったという事なのかもしれない。

22年間



数日前、息子の誕生日だった。
今年で27だろうか、娘達は25か。
よくよく考えるとうちの場合
親子って22歳くらいしか変わらない。
22年てそんなに長い時間じゃない。
でも親子って生まれた時から見ているので
その時間以上に違いを
イメージしてしまってるのかも。
親も子も、若者も中年も老年も
どんぐりの背比べくらいの差かも。
人生は短い、恋せよ乙女。
そして冒険の旅をするのだ。

定期的に自己嫌悪

僕は破滅型の人間だと思う。
とにかく矛盾が多い。
人に好かれたいと思っているのに
人に好かれようとしたくない。
他人を許したいのに
どうしても許すことはできない。
いつも寂しいのに孤独を望んだりもする。
我が強くて思っている事
を相手に伝えたくて仕方がない。
とにかく我慢が出来ない。
自分で客観的に考えて
望みを叶えられそうな気がしない
それでも、どんな人生になっても
死ぬまで生きるしかないな。
仕事と旅と歌と孤独と向き合って生きる。
死ぬその日まで。
それでいいか。

49歳ペンキ屋が今日思ったこと。

僕は日々、自分を分析してきた気がする。
二十歳ぐらいからかな。
なぜそうするか、自分をコントロールする為だと思う。
自我が目覚めた頃、
自分がやりたい事と自分の実際の行為が違った。
感情や欲望でコントロールできなくなる。
他者から聞いた話が本当だとすると、
僕はエネルギーの量が普通より多いらしい、
だから出し方を間違うと周りに迷惑をかける。
それがどうかは分からないが
僕もいろんな人に迷惑をかけた自覚があるので
少なくともやりたいこと以外でそれを爆発させない為の術を
身に付けようと思った。

まず自分の中にルールを決めた。
家族を大事にする。
友達を大事にする。
嘘はつかない。
約束を守る。
悪意を持たない。
一生懸命働く。

とにかく感情のコントロールが
特に怒りが僕はコントロールできない。
カーッとなると体がガクガク震えて
それを越すと何が何だか分からなくなる。
若い頃はそうだった。
今はそうはならない、
色々と工夫をした。
感情が暴れ出すとまず僕は手のひらを見る。
そして自問自答する。
様々なトラブルがあると、
その原因とそうした理由を考えた。
そうしながら、自分を分析しコントロールしようとしてきた。

今は自分は何が苦手で何が得意かはおぼろげに感じていて
どうすれば後悔しないか、それはわかっているつもりだ。
でもそれも信じてはいない。変わっていく。
ただ、自分の直感を信じる。余計な思惑を抱かない直感を。

49年生きてきて感じたことは
自分がしてきたことが結果となって帰ってくる。
それは認め検証し受け入れる。
でも後悔はしない。
ずっと本気で考えて選択してきた。
ずっとマイペースに前を向いて歩いてきた。
僕は後戻りはしないと決めている。
過ちはあっても取り返そうとは思わない。
それを認め受け入れ償いそこに置いて
ずっとこのペースでこれからも歩いていく。
自分のルールを守り、直感に任せて。
そしてどこにいくのかは自分には分からない。

情緒不安定

僕は情緒不安定、子供の頃からそうだった。
きっと心が弱いんだと思う。
不安になったり、自信を持ったり
強気になったり、弱気になったり。
よく自己嫌悪もする。

そしてとても感情的だ。
なるべく冷静にと思っていて
そう立ち振る舞っていても
度々コントロールが効かなくなる。
ただ痛みに鈍感な事はついてる気がする。

僕は酒飲みだが喜怒哀楽や
情緒不安定に
酒は関係ないと思う。
以前3ヶ月酒を飲まなかった事があるが
感情の起伏には関係なかった。

理屈っぽいと自分でも思っているが
ほとんど直感で判断している。
その後なぜそう思ったのか理由を探す。
何が許せなくてどうしたかったのか。

僕はまともでない事は自覚している。
僕がろくでもない人間に見えた人は
地が見えてるのだと思う。

最近は諦めた。
僕はこのまま生きる。
理想を演じたいがもう疲れた。
ただ自分に対してのルールだけは
感情に流されず守っていきたい。

音楽のある町

昨日は練馬区大泉学園にあるさいらくという居酒屋さんの
昼飲み音楽イベントに参加しました。
マイクやアンプを使わず完全生音でお酒と音を楽しむイベント。
生音の気軽さ、とても好き。そして楽しかった。

音楽のある町、それが僕の理想かも。
ミュージシャンもリスナーも音楽を共有できる
垣根のないコミュニケーション。
もちろんプロフェッショナルな音楽は別として
コミュニケーションとしての音楽の楽しみ方
そういうのが僕は好きなんだと思う。

最近は公園や街中でフリーミュージシャンが演奏できる
許可制の場所もありますよね。
そういうのもやってみたいけど、
飲食店や居酒屋、いろんな場所で
定期的にミュージックデーみたいな日があって
演奏できる、聞ける、そんな機会が多くなったら
やる側、聞く側の感覚もかわって
音楽がある町になっていくんじゃないだろうか。
子供も大人も男も女も入り混じって
音楽というずっとあった、でも馴染みは以外と薄い
そんな語源をみんなで共有するのが僕の理想なのかも。

劣等感

これは劣等感だと思う。
悔しさとは違う。

若い頃世話になった同業の先輩が
25年経って大きく成功している。
若い頃なら悔しさを感じたはずだ。
でもそうではなく
自分の力の無さを感じる。
きっと劣等感だ。

子供の頃、僕は劣等感を感じていた。
小学、中学の頃だろうか。
頭も悪い、運動もできない、力も弱い
そんな劣等感が僕をいじけさせ
更なる劣等感を生んだ。

家族を持ち守る事で自信を持ち
僕は開き直る事ができた。
その後の自分の方が好きだ。
もういじけたくない。
自分を肯定して自分の道を進もう。

人付き合い

僕は友達が少ない。
というか、そう思っているのは
生涯通しても数人だ。
一見社交的に見えるようだけど
全然違う。
おそらく友達という感覚が
普通と違うんだと思う。

僕はいい塩梅で
人と付き合うことができない
つい真剣に向き合ってしまう。
好意を持った人間とでないと
うまく付き合えない。
そうじゃないとすぐに色々な事が
めんどくさくなってしまう。
それが僕の一番ダメなところだと思う。

だから好意のない人には近づかない。
そして一度好意を持った人を
嫌いになることも数えるほどしかない。
十代の頃の数人。
それ以降は縁が無かったり
理解しあえず疎遠になっても
嫌いになった事はない。

好意を感じるその要素は
フィーリングや笑顔、目
佇まいのような気がする。
何を言っているかよりも
そこに生き様や美意識を感じる。

でも最近、
好きでも嫌いでもない人とも
友好的な関係を
作れる人間になりたいと思う。
それなのに、めんどくさいと
思ってしまう自分に矛盾を感じる。
それを超える忍耐力や
優しさ、思いやりが足りないのだと思う。
そういうものって、作るものではなく
きっとあるものだよな。
大切だと思う人以外にそれが持てない。
多くの人達に
本当の意味で優しさや思いやりを
持った人間に憧れる。

 | HOME |  »

Appendix

Kuni

Kuni

1969年生まれの蠍座O型。東京の片隅で細々と暮らしています。好きな物や事は音楽、バイク、草野球、ラーメン、酒。

仕事は建築塗装を
自営でやっています。
東京都練馬区 岡田塗装 ←リンク




Categories

Recent Entries

Recent Comments

Monthly