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喧嘩

先日ネットでの友人のブログ記事に
喧嘩の話題が出ていました。
その記事を読んで思う所もあり自分なりの喧嘩論を
書いてみようかなぁと思います。

子供の頃の喧嘩と言うのは
ただ単に自分の強さと言うのが気になりましたね。
喧嘩一つ勝ったり負けたりする事で
自分の生活ポジションが変わったりするので
ある意味死活問題でした。(笑)

でもいつの頃からか勝ち負けはあまり気にならなくなりました。
喧嘩をするときに自分でも感じていた致命的な欠点と言うか
自分は相手の顔を思い切り殴れないんですよね。
これは性格の問題なんだろうなと感じていました。
自分は格闘技には向いていません。(^^;

では自分にとって喧嘩って何なのか。
これは自分の怒りを表現する一つの形であり
自分の意見や信念を突き進める一つの形に感じています。
例えばどうしても許せない人がいる時その怒りを表す方法であったり。
自分の信念を貫き相手に意見するときの姿勢なんだと思うんです。

人に自分の意見を主張しようとする時
最後に殴り合いをするぐらいの気持ちが無ければ貫く事は出来ません。
はじめからそれを避けようとしていては
何も出来ない様な気がしているんです。

もちろんそれは望みませんが
そう言う姿勢が無いと男は信念を貫けないような気がするんですよね。
友人のブログに「売られた喧嘩は買う」という表現がありました。
自分も売られた喧嘩は全部買うと言う事を心情に生きてきた様な気がします。
でもそれって結構大変で、たいして強くない俺は大けがもつきものだったりするもんです。(^^;
でも様は気持ちの問題だと思うんですよね。
気持ちで折れない、そんな姿勢が生きて行く上で男には必要だと思う事も多いです。

話題に出た友人は空手家であり、子供たちに教える指導者でもあります。
その格闘技が精神鍛錬として人間を大きくするものであったり
その強さが自分の信念を通す強さになるのであれば
それは人間として強い財産になると思います。

格闘家である以上、その強さを鎧にする事は間違っていないと思います。
ただその本来の戦いの場は道場内や競技場であるべきであり
喧嘩の場であるべきではないと思うんですよね。
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コメント

こんばんわ。

>格闘家である以上、その強さを鎧にする事は間違っていないと思います。
>ただその本来の戦いの場は道場内や競技場であるべきであり
>喧嘩の場であるべきではないと思うんですよね。

そうですね。格闘家として本来の戦いの場は道場内や大会会場ですよね。
しかし武道の本質って型(かた)や基本稽古にもあるように
いつ、いかなる時に襲われても対応できるような技術が多く感じます。
(僕自身、対応できるようなレベルではないですが)
護身術などを平行して習得するのもその為ですよね。

空手や柔道を単に優勝トロフィーだけ目標とする、スポーツとして修行するのか、生きていて危険な時に対応する力も養うのかは、各道場によって大きく別れていると思います。
しかしだからと言って、強い力に自惚れて自分から喧嘩を売るのでは、ただのならず者です。
こちらが喧嘩を避けようとしているのに、更に喧嘩を売ってくるような相手に対し
戦わずに土下座をするならば、何の為につらい思いをして修行をするのかなと
思うのです。

Kuniさんと同じく、僕の喧嘩論も最終的には自分の怒りを表現する一つの形なんだと思いますよ。
(言葉として強い口調で言うのも含みます)
だって、最終手段である喧嘩になれば、それ以上相手が意味もなくナメて来ることも少ないですからね(笑)

正直、楽天ブログには書けませんでしたが、今年の7月、工事現場の鳶さんに
現場で暴力を振るわれたことがあり、自分なりの筋道を通す為に手を出してしまいました。
結果は一番痛い部分を1度蹴って、おしまいです。

でも、ゼネコンの所長や、務めている会社社長からは一言もとがめられる
こともなく、先に手を出した職人さんはその現場から姿を消しました。
鳶の職長さんも僕の所へ謝りに来ました。

(ちなみに、事前の打ち合わせが変更になり、僕が監督員の指示に従っていた所、事前打ち合わせと違うことをしていた僕に対し、勘違いした鳶さんが
怒って僕の胸ぐらを掴み、壁に頭を強く叩き付けてきたのです)

まぁ建築現場ではよくある話ですね(汗)


その時に、相手に土下座をして謝るなら・・・
空手、武道うんぬんじゃなくて、僕は男を辞めますよ!!
そして空手も辞めます。

先に手を出すということは、僕にとってそれぐらい線を引いて
いるわけです。

ただやはり、こんなことを武勇伝にする気はなく、子供達は未だに知りません。
(嫁さんは知っていますけど)

やっぱり手を出したことに対して罪悪感はあるけど、次の現場で
また喧嘩になった鳶さんと会いましたが、笑顔でお互い挨拶してますよ。
コーヒーを一緒に飲むこともあります。

Kuniさんの方が先輩だからよく分かると思いますが、喧嘩をした
相手と言うのは前よりも増して仲良しになるケースが多いような
気がします。

最後に言いますけど、正直僕も格闘家には向いてないんですよ。
仲良しさんと組手をする時は、どうも本気で殴れません。
前の道場にいた時に、師範に本気で怒られたことが何度かありますよ。
うちの長男の心の弱さは、完璧に僕に似てると断言出来ます。
それに比べて娘は・・・(爆)

では、また。偉そうにごめんなさい。m(__)m

HIROさん、こんばんは。
護身と喧嘩は似ているようで全く違うように感じています。
売られた喧嘩を買う事は護身とは違うように感じるんですよね。
自分の考え方が常識的であるかどうかは自信はありませんが
お話を聞いていると
HIROさんと自分は筋道の捉え方と強さの美学の捉え方が
根本的な部分で違うのではないかと感じました。
師範として、これからの活躍期待しています。

Kuniさん、恐らく誰が聞いても常識がないのは僕の方でしょうね。
実際に空手に携わってくると、関わる人間達の影響やその道の世界観
などに感化されて一般的な考え方が出来ないのかも知れません。

本当は心の中だけで思っていれば良いことまで、さらけ出して
しまう癖があるので人間として未熟かもしれません。

でも根本的な捉え方は違うのかもしれないですが、自分が間違ってなければ
その相手に向かっていく部分は同じような気がしています。

自分は格闘技をやっていないので
格闘技の事は良くわかりませんが
精神修行の為に武道や格闘技をする人は
とてもかっこいい人だと感じます。
そしてその技を、護身として使う事は
間違っていないと思います。

自分が一番違和感を感じたのはこの一説でした。

>こちらが喧嘩を避けようとしているのに、更に喧嘩を売ってくるような相手に対し
>戦わずに土下座をするならば、何の為につらい思いをして修行をするのか

格闘家は何の為に辛い修行をするのか。
ポイントはここだと思うのです。
絶対的な強さとは自我を押し通せる
力の強さを言う物ではないと思います。
それが強さであればそれを手に入れる為であれば
空手は必要無いようにも思えます。
そして自我の中に物事の筋道を感じません。

自分は善人でも正しい生き方をしている人間でもありません。
暴力もふるうし感情だって
コントロール出来ない事も良くあります。
ただ自分だけの自分に課したルールを
守って生きているつもりです。
それも人それぞれみんな違う物だと思いますし。
そのルールがHIROさんと自分、
少し違いがあるだけの様な気がします。

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Kuni

Kuni

1969年生まれの蠍座O型。東京の片隅で細々と暮らしています。好きな物や事は音楽、バイク、草野球、ラーメン、酒。

仕事は建築塗装を
自営でやっています。
東京都練馬区 岡田塗装 ←リンク




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